こんにちはだいごです。
これまでは歩き遍路を完遂する上で必要(だと思うよう)なことを書いてきて、その中で少し僕の経験談なんかを挟んでいるのですが、この外伝ではそこで語られていないことについて書いていきたいなと思います。
遍路中はなるべく日記をつけるようにしていたので、そこから引っ張り出して、あと思い出しながら書いていきたいなと思います。
遍路に行く前
遍路に行く前にある程度知識を頭の中にいれて行きました。特に真言密教に関する勉強を自分なりにしていたのですが、密教は基本的に師からの口伝によって受け継がれます。
なので、文字だけで密教を理解しようとしても表面をなぞることくらいしかできません。
僕が密教を勉強する上でめちゃくちゃ参考になったのが、こちら
これ、はっきり言ってめちゃくちゃ面白いです。”見える僧侶”というのは僧侶の中でもめちゃくちゃ少ないらしいのですが、その中でも、呪等を専門に扱っているその道のエキスパートとも言える人慈童さんのエピソード(実話)です。
宗教とか堅苦しいことに興味がなくてもこれなら面白くてさくさく読めます。
この漫画でも遍路修行中のストーリーが出てくるので、歩きで遍路に行かれる際にはチェックしておくと楽しさが増すと思います。
天狗に力を貸してもらう話とか、道中で餓鬼に憑かれる話とか、僕は全く見えないのですが、石鎚山なんかを見るとここに天狗がいるのか~ってな感じで心を躍らせていました。
この漫画の表紙にもなっている歓喜天、僕も大好きなんですよね。
と、言っても歓喜天は密教僧の中でも秘仏中の秘仏で、普段は厨子に入っているので一般の人は見ることができません。それに僕もこの本を読んでから歓喜天(以下、天尊)を信仰というかファンになったので天尊ファン歴は1年ちょっとくらいです。
詳しく知りたい方は是非漫画を読んでみて欲しいのですが、この天尊はどのような願いでも叶えてくれます。
「うっそだぁ~」と思われる方もいると思います。当然だと思います。
僕は2018年の2月に遍路に出る前に安全祈願と兼ねて別のお願いしたことが6月に叶ってほんとに驚きました。
勿論遍路も無事に何事もなく終えることができました。
実際に天尊を祭ってある寺院に行って祈祷してもらったんですが、2018年は人知を超えた何者かに助けられたなと思う場面がしばしばありました。
こういうスピリチュアル的な話は意見が割れる上に、懐疑的な目線で見られるのが僕は嫌なので、普段口にはしませんが僕にとっていいことだらけだったのでそれで胸の中に収めています。
僕はほんとにただのファンで信仰してるなんていうのがおこがましいくらいなんですけど、この天尊に至ってはガチ信仰してる人達は本当にすごいです。
例えば、奈良の生駒に宝山寺という寺があるんですが、ここが3大歓喜院と呼ばれるひとつなんですが、寄進の石碑を見てみると数千万単位がずらっと並んでいます。
香川の八栗寺も同様でした。

香川県の八栗歓喜天 お堂の中に入って拝ませてもらいました。
と、言う風に遍路をしながら聖地巡礼もしていたわけですね。
そんな感じで同じように聖地巡礼をするのであれば他にも種田山頭火とか司馬遼太郎とか、総本山弘法大師空海のことを勉強してから行くとさらに面白いですよ。
読経のお話
遍路では各寺院でお経をあげます。
誰もが初めから完璧に出来る人なんていないと思うのと、実際に行くことを考えている人で読経なんてしたことがないという人向けにどうすればいいのか解説したいと思います。

右下は八栗、その左隣は生駒聖天の歓喜天拝礼法。一番左は光明寺でいただいたもの。
お経をあげるときには、たとえ暗記していたとしても、間違えないようにこのような仏前勤行次第というものを手にもって読経します。なので、
「見てお経上げてるだっさ~」的なことはないです。安心してください。
この仏前勤行次第ものによってちょっとずつ違うのでどれがいいとは僕には言えないのですが、遍路のすすめお経文面にあるこれが一般的なものだと思います。
これ、字だけだと全くわからないですよね。どんなふうに抑揚つけて読めばいいのかや、どこで区切るかなど。
そこで、僕が推しているe-ラーニングで読経を学んでしまいましょう!
遍路中で得たもの

各お寺で納経を済ませて御朱印を貰うと同時にこのようなご本尊の御影が貰えます。
これはつまり、納経をして、そこのご本尊とのご縁を頂いたということを意味しており、年配の方はこの88枚の御影を掛け軸にしたりするようですが、これまたそこそこいい値段しますし、捨てるのは勿体ないし、ということでずっとこの左下の御影袋に入ったままです。
う~ん。結構あるし飾るに飾れない…
自慢できるものなんだけどね。
次にこれ、

錦の納札 表面

裏面 個人情報保護のため一部ぼかしています。
お経を上げたのちに、こういう納札(おさめふだ)というものに願い事を書いたものを箱に入れるのですが、この納札が遍路の回数によって、色が変わります。
一番最上位のものが、錦で出来た納札なんですが、その中でもこれは大先達の方の錦の納札(をラミネータで強化したもの)を運よく頂くことができました。
本当についていたと思います。これも天尊のおかげなのかなとか思ったり。
歩きであれば一回巡るだけでも二カ月くらいかかるのですが、それを100回以上回ってるなんて信じられないですよね。
この方は何回回ったのか忘れましたが何百回とか言ってました。確か
僕の遍路道中は本当に恵まれていましたし楽しすぎました。青春の一ページと言っても過言ではない。
怪人・奇人・外国人
一番最初に紹介した本の中で何巻か忘れてしまいましたが、四国には特殊な結界が張り巡らされているそうです。
なんだか独特な雰囲気がするんですよね。それでいて、また四国の遍路道中には様々な変わった人々がいます。
そこで出会った方たちを個人情報が特定されない範囲で紹介したいと思います。
A山君
歩き遍路開始一日目は昼過ぎに徳島県に到着し、線香や勤行次第(お経の本)、持鈴等お遍路に必要なものをそこで揃えながら他愛無い会話をしながら霊山寺の売店のお母さんにはよくして頂き感謝しています。
それからルンルンで歩き、3番札所に到着。
泊るところは何も考えていなかったのですが、納経を済ませて納経所へ向かうとご親切にもこれからの時間では4番札所を飛ばして5番札所に向かいその近くの善根宿で泊まることすすめて頂き、その時に善根宿や民宿のリストを頂きました。
二日目には10番切幡寺まで歩き、階段を上がると青年が一人座って休んでいました。彼がA山君。
靴もズボンも上着もリュックも全体的に黒い姿で、白装束を着て遍路をしている人の中では少し際立つ存在でした。
そこではなにも話をすることもなく、僕は次の宿、市営鴨島温泉に向かいました。

(※鴨島温泉では旅館とか民宿ではないので注意してください。善根宿なので、暖房設備や布団などなく、あくまで寝泊まりできる場所を提供してくれるだけなので寝袋や食事を用意しておく必要があります。)
雄大な吉野川を渡っている途中でほとんど日は落ちていて、辺りが薄暗がりに包まれ始めていました。
足を速めて向かっているとなにやら着けられている!?
そこそこ速足で歩いていたにも拘わらず5分くらいずっと跡をついてくる。大きなザックが邪魔で通れないのか。
道を確認するために立ち止まると声をかけてきた。
地元の高校だった。遍路道では道を迷うことはよくある。
この青年は、日が暮れて歩いている僕にわざわざ声をかけてきて鴨島温泉までの近道を案内してくれた。見ず知らずのでかいザックを背負った人に声をかけるなんて勇気がいったことだろう。ただただ感謝。
彼に道案内をしてもらいながら信号を待っていると、一台の黒いバンが横に止まり、窓が開いた。
「おへんろさんしよんちゃん」
顔を出したのは30代中頃の明朗快活な女性、にこやかな顔で半分嘲るような声で第一声でそう言ってきた。
「お接待でこれあげるわ。頑張りや~」
と言って、スナック菓子をもらった。
お接待を受けたら、感謝の意で納札を渡すのだけど、この女の人も、道案内してもらった高校生もお接待したら納札を貰えるなんて知らなかったよう。
お遍路というのは身近な存在だけど地元の人達は案外知らないものなのかな?なんて思ったり
鴨島温泉に到着し、温泉で汗を流して、地元のよくここで集っているのだろう爺さん達の話に耳を傾ける。
今日は誰誰が来てないとか野球とかそんな感じの話をしていたと思う。
しばらく浸かって、温泉の横のプレハブ小屋のような善根宿戻ろうとすると、温泉のお母さんがもう一人泊まりに来ていると教えてくれた。
もう日が暮れていたし、今日は誰もこないだろうなんて思って、温泉に入るのに着替えを取り出すためにザックをひっくり返して荷物が散乱していたので申し訳なく思った。
部屋に戻ると黒い40Lほどのザックだけ置いてある。どうやら風呂に浸かりに行っているようだ。
そのうちに部屋を綺麗に片づけたり洗濯しながら
「どんな人だろうだろうか、年上かな」
なんて思っていると帰ってきた。
同い年か少し若い昼間見たあの青年
彼が某旧帝大の青山君
元山岳部で、そこでは毎年一人が死ぬのだと言っていた。彼も7m滑落して、死ぬ前にサークルを抜けたんだそうな。
年が近いせいもあってか、割とすぐ打ち解けあれやこれや話が弾んだ。
次の日は遍路転がしの名高い12番札所焼山寺に朝一からアタックするために早く寝た。
次の日からA山君とは行動を共にし、焼山寺に向かうのだけど、さすがに彼は山岳部だけあって早い。
彼はさすがに山岳部だけあって、40Lくらいのザックに寝袋やテント等詰め込んできたらしい。僕なんて60Lでテントなしでもパンパンなのに。
20kg近い荷物を背負って13kmの山道は確かにめちゃくちゃきつかった。
平地でだいたい1時間で4km進めるから普通に歩けば3時間、でも山道なので4km/hでは進めない。それに途中足が上がらなくなり、何度も休憩した。A君はとても涼しい顔をしていたのだけど
11番札所藤井寺から5時間くらいかかったと思う。ここまででもへとへとなのに次の13番札所大日寺までは23kmもある。普通に歩いて6時間の距離
日が暮れて下るのも危ないので、途中ですだち館という宿で泊まった。1年前泊まったすだち館がもう営業していないらしい。なんだか少し寂しい
すだち館では僕とA山君と中国人と台湾人が泊っていて、すだち館のおばちゃんとおじちゃんと柴犬と僕達でわいわいしながら食事を楽しんだ。お代わり自由のレトルトカレーだった。
そんなこんなでA山君とはしばらく行動を共にしていたもののA山君は納経はしていなかった。どちらかというと長期休暇を利用した体験版歩き遍路で、結局途中で彼は「おおぼけこぼけを見に行く」とのことで途中で別れた。
後から聞くと最御崎寺を最後に帰ってしまったらしい。
おおぼけ‐こぼけ〔おほぼけ‐〕【大歩危小歩危】
徳島県西部、四国山地を横断する吉野川の峡谷。景勝地で、上流側に大歩危、下流側に小歩危がある。
デイビッド・Y城さん
デイビットと最初に出会ったのは、徳島県のとある善根宿、まだA山君とめぐっていた時にその善根宿のオーナーさんが、
「ドイツ人が近くのコンビニまで来てるらしいけど君ら英語わかるやろ、迎えに行ったって」
ということで迎えにいった時が最初の出会いで、無料で泊まれるよということを伝えると「いや、それは悪い。お金は出す」と頑なだったことを覚えている。
ちょうど、その善根宿でデイビッドを迎えたときに一緒に泊まっていたのが、バイクで日本全国道の駅巡りをしていて、今回は番外札所を巡っているというY城さん
デイビッド日本に来るのは8回目らしく大の日本好き。新宿のバーで働いていたこともあるそうな。
普段は向こうで何をしているのかと聞くと、ドイツ軍とアメリカ軍の通訳とか有名バンドの機材を運ぶトラック運転手をしているんだそうな。
デイビッドは日本に来てお金がないときには柿の種ばかり食べていたそうで、体重がかなり落ち、ある日気が付くと知らない駅に立っていたという。
荷物もなく探し回って…え~とそれからなんて言ってたか思い出せないなぁ。
東京で働いていた時眠るのが怖かったと言っていた。眠ると必ず男が枕元に表れて、金縛りにあうのだとか。
僕にもそんな経験はしたことあるか?と聞いてくるが勿論ない。
僕の拙い英語で何とか意思疎通を図りながらデイビッドのことを深く知っていくんだけど、彼の父が昔は誇れる父親だったのに仕事にあぶれてから家でヤケ酒をするようになり暴力も振るうようになってしまったんだとか。それから精神病になって…
おかしくなる前のお父さんは大好きだったけど、それから人が変わってしまって嫌いになったんだと言っていた。
僕は栄養失調と疲労から眠るとその男の幻覚が見えるのでは?と思っていたが、実は父親だったんじゃないかとも思う。
それについては聞くことはできなかったけど、デイビッドと過ごした時間はとても楽しかった。
何故なら、20代そこその遍路の格好をした若者と38歳のドイツ人
このあべこべのコンビは見る人からすれば奇妙だったに違いない。
皆僕を通して異国のデイビッドと話たがっていたし、方や僕は見るからにお遍路姿なので、お接待という名目でみかんや畑で採れた野菜やおにぎり、時には泊めて頂いて夕食までご馳走になったりよくしてもらいながら僕がデイビッドの簡単な通訳になっていた。
デイビッドがいてくれたおかげで地域の人々との交流も深めることができた。

よく財布を落とすし、二週間はお金が下せないとか言うから、コンビニで5本入りのスティックパンを買って分けて食べたり、5袋入りの袋麺を買ったりして全部二人分用意してシェアはぴした。
あとでお金を返すと言って、お金を引き出せてから返そうとしてくれたけど僕は受け取らなかった。
一緒に過ごした時間、そのお金以上に貴重なものを僕は既に受け取っていたからだ。彼はなんというか日本人以上に日本人らしかった。
またデイビッドとどこか一緒に旅に出れたらいいなぁ。財布だけは落とさないようにしてほしいけど。
Y城さん八十八ヶ所に加えて別格と呼ばれるお寺も巡っていたので、バイクだったけども、進む速さとしては僕とデイビッドと同じくらいだった。
Y城さんは登山の歴も長く、山登りが時代の熱を帯びる前からやってきた人なので、アウトドアの知識を沢山教えてもらうことができた。それに、泊まるところはY城さんがおすすめしてくれたところに泊まっていたので、出くわすことが多かった。
なので、Y城さんがいると夕食を作ってくれる。それが純粋に嬉しかった。山男の料理は自分でこれから遍路をしていく上でも調理のレパートリーが増えたので参考になった。
Y城さんはそれだけ聞いてると普通の登山やバイクで全国を巡るアウトドアおじさんのようだが、あの人の目の奥には何か光っていた。
アウトドアの知識だけじゃなくて、般若心経の説いているところだとか、スピリチャル面についても詳しく教えてもらった。
黄泉の世界を見た、というよりも見せられたことがあるという話を詳しく聞いて「嗚呼、やっぱりな、この人は尋常じゃないな」と思った。
右目の奥が光って見える。あれはいったいなんなんだろう。と話している時にずっと思っていた。
後にも先にもあの人のあの目しかあんなもの見たことがない。
25歳で独立し、一人で工場の設計などを行ってきたらしい。離婚したけど、今はとても仲がよく、ちょくちょく一緒に山登りにもいっているそうな。
仕事では考え抜かないといけず、眠れない日も続いたりして、精神病になったこともあると言っていた。
今は全部清算して気の向くままに旅を続けている。
道の駅かどこかのPAでまた会うかもしれない。電話番号を聞いているのでいつでも連絡を取ろうと思えば取れるのだけど
お不動の人Wさん
とっておきはこの人
不動明王に守られる男Wさん
もうかれこれ10年以上四国を回り続けているという。中でも不動明王への信仰心が篤い。
お遍路といえば八十八ヶ所巡りが有名で、次に別格、不動霊場巡りは非常にマニアックで、地元民でも不動霊場となっているお寺を知らないという具合なんだそう。
このWさんは施設管理者として仕事をしていたそうなんですが、何故その仕事を選んだのかというと、そもそも仕事が少ないので、仕事中に勉強できる時間を確保できるからとのこと
この人がすごいのはなんと、一文字ドメインも持っていたそうで、投資にも興じておりアメックスのプラチナカードも持っていらっしゃいました。
年金を受け取らずに、生活は全て托鉢で成り立っていると言ってました。
「この生活を始めてから一年間で使うお金は10万円にも満たない。お不動さんに命を任せているから必要な時に必要な分だけ貰える。心配する必要もない。」
とのこと
お不動さんからいただいたと言っていた錫杖(しゃくじょう)、あのお坊さんとかが持ってる上に輪っかがついている杖みたいなやつシャリンシャリン音がするあれ。
それが、不動霊場を巡っているとあるお寺の人に「どこでその錫杖を手に入れたのか、5000万円で譲ってほしい」と懇願されたのだそう。
なんでも国宝級の錫杖らしく、どういう経緯であの方の手に渡ったのか詳細は分かりませんが、「お不動さんからもらった」と言っていました。
ある日、トラックと衝突事故を起こして死を覚悟するようなスピードで突っ込んできたものの、なんと、その錫杖がつっかえになって、トラックを止め、Wさんは手の軽い打撲で済んだというのです。
「お不動さんに守られた」
そう言ってたんですが、これだけに留まらず、不動霊場にてお経を上げているとき、飲み物が半分くらい入ったペットボトルを勢いよく一瞬だけ振るような音がしたそうです。この時は読経中だったので気にかけなかったそうなのですが、終えてみると足元に置いてあったはずの立てて置いてあったはずのペットボトルが階段の上で逆さまになって立っていたというのです。
「お不動さんはいたずらが好き」
ともはやこの領域に行くと、神仏がまるで親友のような話しぶりでした。
普段から、悟りを開くためのとあるルーティンを寝る前に必ずやっているそうなのですが、ある日、違う世界のようなところに飛ばされ、怖くなって懸命に「南無大師遍照金剛」と唱えて不思議な空間から脱出することができた。なんてことも仰ってました。
これら本当かどうかは僕にはわかりませんが、ひとつ言えることは四国の遍路道にはただならぬ何かがあるということです。
まとめ
他にもたくさんの出会いに恵まれ、ひとつひとつ書いていきたいところなのですが、さすがに全て書き出すと終わらないなと感じたので外伝はこの辺で。
また時間があるときに適宜情報を追加していこうかと思います。
ここに書いた話の中には眉唾ものの話もいくつか出てきましたが、僕が書いているものは全て僕自身が実体験で見聞きしたものです。
四国というところは本当に面白いです。人生で2カ月だけ時間を作って、歩き遍路に出かけてみてはいかがでしょうか。
全く予想できない出来事の連続で2カ月という時間もあっという間に過ぎ去ってしまいまうことでしょう。
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