こんにちはだいごです。
今日はカールマルクスの『資本論』についてざっくりと取り上げていきたいと思います。
今、そしてこれからを生きていくために資本論を知っておくことは非常に有用だからです。この資本論は労働者のために書かれたといっても過言ではありません。100年以上に書かれた本ですが、昨今カールマルクスの資本論で述べられている状況と非常に近しいものがあるように感じます。資本論を読むことで、普段もやもやしていた霧が晴れ、これからを生きる着想を得るかもしれません。
資本論を全部読み込むには相当な時間と労力を要するため、ここではポイントだけ掻い摘んで説明していきます。もちろん違った解釈もあると思いますのでここに書いてあることが絶対だということはありません。楽しみながら読んでいただければと思います。
資本論はソ連をはじめ、社会主義の成り立ちに大きな影響を与えていました。
しかし20世紀後半、社会主義の国々は次々と崩壊していきます。時代はもはや資本主義の独り勝ちとなります。
しかし、資本論は読まれることが少なくなっていきました。
ところが、2008年の金融危機によって状況は一変します。
多くの労働者が失業に追いやられ、失業者は増え世界中で格差が広がりました。
それはまさに資本論が描いたむき出しの資本論の姿でした。
今なぜ資本論なのかを読み解いていきたいと思います。
資本論すっとばしてお金の話だけ知りたいという方はこちらからどうぞ
マルクスとは
初版の1868年に書かれた本ですが、昨今の資本主義の変容を見ていますと、マルクスが分析した当初とよく似てきていると感じます。
カールマルクスとは一体どういう人だったのか。
- ドイツの西部フランスの国境に近いトリーアという土地で1818年マルクスは生まれました。
- 幼い頃からマルクスは文学を愛する少年でした。
- 18歳でベルリン大学院留学今度は哲学にのめり込みます。
- 卒業後は新聞記者に就職
- 25歳の時フランスに渡り活動の場を広げます。
- しかし、権力への痛烈な批判で、政府から目を付けられ、フランスから追放命令を受けます。
- 1849年イギリスに亡命この時31歳妻と3人の子供がいました。
また、ある時マルクスは娘ジェニーの質問にこう答えました。
娘「あなたが幸せだと感じる時は」
マ「闘争すること」
娘「不幸だと感じることは」
マ「屈服すること」
娘「あなたの好きなモットーは」
マ「全てを疑ってかかれ」
マルクスはロンドンで連日大英図書館に通い詰め、経済学の研究に没頭します。しかし稼ぎのないマルクス一家は困窮を極めました。次男・三女・長男と三人の子供を次々と病気で亡くしました。この時棺を買うお金もなかったと言います。
それでもマルクスは困難を乗り越え49歳の時に一冊の本を書き上げます。それが資本論第1巻でした(1867年)
さらに第2巻第3巻というのがあり、これはマルクスが亡くなった後に 友人のエンゲルスが編集したものです。フランス語版の序文にマルクスはこう残している。
「学問をするのに簡単な道などはない。だから、ただ学問の厳しい山を登る苦労を厭わない者だけが、輝かしい絶頂を極める希望を持つのだ。」
まるで資本論を読む人がその難解さに挫折することを見越していたかのような記述です。
資本の誕生
世界は商品でできている
冒頭にこういう言葉が書いてあります。
資本主義的生産様式が支配している社会的富は、「巨大な商品のかたまり」として現れ、この富を構成しているのがこの商品である。だから、我々の研究は商品の分析から始まる。
要するに資本主義というのは商品の分析から始まり、商品の塊として現れているということ。これが資本主義の基本的な形です。
市場で売られているものを商品と言えます。体で言えば細胞にあたります。この細胞を分析することによって資本主義全体を分析しようという考え方です。
マルクスは商品には二つの価値があると言っています 。
あるものの有用性が使用価値となる。
我々が考える社会形態の中では、商品の使用価値は同時に交換価値の素材的な担い手である。
分かりやすく言うと、商品には使用価値と交換価値の2種類の価値がある。
使用価値というのは人間の欲望を充足することで
パンはお腹がすいた時に食べるしおやつは3時に食べますよね。
こういうものを使用価値と呼んでいます。
次は交換する時にどれくらいの量の商品と交換すればいいのかというのが交換価値です。
例えばボールペン3本がパン2個に等しい
これはお互いが欲しいと思うから交換ができますよね。
これがたまたまは欲望が一致すれば交換が成立しますが、 どれくらいの量が等しい価値なのかということをここでは考えます。
ボールペン3本とパン2個に共通するものは何でしょうか。少し考えてみてください。
これらに共通するものは労働です。
どれだけの労働を費やしたか。
お互いの労働の価値が等しいということです。
つまり商品の価値とは労働と言い換えることができます。
さらにこの交換を広げて考えます 。
先ほどのボールペン3本とパン2個にカップ麺一個を加えます。これをどんどんと永遠に繋がっていくのですけれども これらにつながっているものは何かと言うと労働です。
これを労働価値説と言います。
商品から貨幣が生まれた
先ほどの交換を繰り返していった先にある特別なものに変えることができます。それが金です 。
金はその希少さと美しさからどんなものでも交換できる特別な地位を獲得しました。
こうして金は様々な商品流通させる貨幣となったのです。
なぜここで金になったのかというのはなかなか難しいのですが、やはり人間の心の中にある 魅惑的なものに対する欲望というのがあります。
それと同時に金というのは錆ないというのがあります。さらにどこまで薄くすることができる。したがって金は特別な商品として貨幣に選ばれました。
さらに、マルクスは資本論の中でこういうことを言っています。
ドイツ語でヴェーゲーヴェーといいます。
Ware(ヴァーレ)は商品を指し、
Geld(ゲルト)は貨幣・お金を指します。
商品を作り、それを売ってお金に変えて、そのお金でまた商品を買うということを意味しています。このW-G-Wを繰り返して
と連なっていき、これを続けていくとこのように考えてくる人がイルとマルクスは言っています。
お金で商品を買ってそれを売ってまたお金を手に入れる。つまりお金そのものを手に入れたいと考える人です。
しかし100円で買ったパンを100円で売っては何の意味がありません。したがってここに利潤を上乗せして
とします。 このような貨幣を資本としての貨幣と言います。資本というのはそれ自体が価値を増殖していくものを資本と言います。貨幣がどんどん貨幣を生んでいくことです。
マルクスは最後に資本の秘密をこう言います。
「資本の目的は(中略)利益を絶え間なく得る、ということだけである。」
『資本論』第1巻 第4章より
欲望のままに富を無限に拡大し続けること、これがマルクスが資本論で暴こうとした資本論の原理でした。
資本論の持つ現代性に注目してみましょう。
特に資本や資本家についての考え方です。
マルクスは資本について具体的に形にするならば「資本は頭からつま先まで、あらゆる毛穴と毛穴から血を、油を垂らしながら生まれるのだと言えよう。」と述べています。
例えば現代のIT社長に目を向けてみるとすでに何十億という資産があり、悠々自適に暮らせばいいのにと思うのに、ちょっとでも増やそうとして、また減らそうともしない。だから増やすために、必死に走り続けている。これがまさにマルクスの言う資本家の姿といえる。一般的に誤解されやすいのは、経営者がすなわち資本家であるという考え。すなわちお金(資本)を託されて会社を経営している人たち。この人たちはむしろ資本に使われている人達です。自分達は何もしないで家で寝ころびながら資本を増やしている人たちを今では資本家と言っています。
ここまででは資本論の第一編、第二編を要点を掻い摘んで説明しました。次は第八章労働日についてみていくことにしましょう。
労働力という商品
資本論が世に出た19世紀、ヨーロッパでは産業革命によって労働環境が大きく変化していました。
多くの労働者が劣悪な労働環境のもと、わずかな賃金で働かされ、不況になれば失業し、困窮を極めていました。そんな労働者のために資本主義の実態を暴いて見せたのがこの資本論だったのです。
マルクスは資本論が難しいということを理解していたため、読者にまずは第八章労働日から読めとすすめています。 マルクスは労働者にこそ、資本論を読んでもらいたいと考えていたのです。この第八章に労働者の姿が描かれているからぜひ見てほしいという願いが込められていたのです。
ある壁紙工場では、朝の6時から深夜まで、ほとんど休みなく働かされました。
労働者W.ダフィの証言によると「子供たちは疲れでしばしば目を開けてられなかった。実際自分たちでさえ、目を開けていられないことはよくあった。」と述べています。
さらにマルクスは、数百人が亡くなった鉄道事故についても分析し、事故を防げなかった鉄道員の声を引用しています。
「10年ほど前は8時間労働に過ぎなかったのです。この5、6年の間に14時間18時間20時間と引き上げられ、バカンスの時など人が多い時は、4,50時間休みなく働くことも珍しくありませんでした。」
資本は、社会が対策を立てて矯正しない限り、労働者の健康と寿命のことなど何も考えない。
資本論の第8章にはマルクスの怒りが満ちています。当時の資本家は、利益を上げるために労働者の健康など考えていないのが普通でした。
以下の記事では様々なデータからAIが社会問題に関して導き出した提言をまとめているのですが、生産性を上げるためには「11時間54分以上働け」というものが中にありました。残業を減らせという声が大きくなっている日本で、AIは何故このような提言をしたのか関心のある方は参考にしてみてください。
それに対してマルクスは労働者の気持ちを汲んで、資本主義の本質暴こうと完璧な論理をうち建てようと考えたのです。
商品というのは使用価値と交換価値という二つの側面を持っていました。
使用価値とは使って役に立つということ。
交換価値とは他の商品と交換する時の値打ちのこと。それは通常貨幣の量、つまり価格によって表されるのでした。
労働力もまた、商品として使用価値と交換価値を持っているのです。
使用価値とは労働するということ
交換価値というのは労働者が働いて売った労働力に対して賃金を得ること。すなわち、労働力の売値が賃金ということです。
資本論によると労働力の価値は労働者が翌日も元気に働くために衣食住にどれだけの費用がかかるかによって決まります。資本家はそれを賃金として労働者に渡します。
労働者が生活をするために必要な額を稼ぐために働かなければならない時間を必要労働時間と言います。ところが、この必要労働時間だけ働いてもらうのでは、資本家にとっては全く利益が出ません。 それでは困るので、資本家はさらに労働者を働かせなければなりません。 これを資本家の利得分も含めて剰余価値といいますが、これを剰余労働時間として説明します。さらにそのぶん余分に働くということです。この部分が資本家にとっても搾取という部分になってくるわけです。
搾取と言うと聞こえが悪いですが、資本家にとっては搾取と考えていません。ちゃんと労働に対する対価としては賃金を与えているという認識です。つまり等価交換をしているというふうに考えています。
ここがマルクスの解明した重要な部分で、資本主義社会ではごく普通の等価交換に見えてしまうというわけです。
つまり資本家は、働かせれば働かせるほど、手渡す賃金以上の労働力を手に入れることができるわけです。
当時の資本家が労働者をどれぐらい働かせていたのでしょうか。
1日の労働日という概念なのですが、 資本論の中でこのように書いています。
労働日とは丸一日24時間のことであるが、その中から休憩時間は控除される。
なぜならそれがなければ、労働力は新たなサービスを提供できなくなるからである。
労働者にとってはとても酷い考え方です。当時はこのようにしてドラキュラのように搾り取っていたわけです。
労働者を絶対的により長い時間働かせて、剰余価値を得るというやり方を行ってきた。これを絶対的剰余価値とマルクスは呼んでいます。
絶対的剰余価値とは要するに、労働者を長く働かせて 資本家が稼ぐ利益のことです。
ところが19世紀後半、労働法などによって工場で働く労働時間が制限されるようになりました。 そのため資本家はこれまでのように絶対的剰余価値を得るのが難しくなってきました。
労働時間が制限されている中で、より利益を上げるにはどういった形が考えられるでしょうか。
労働時間に制限が加わると、資本家が利益を生み出す方法は変わります。 労働者の必要労働時間を減らすことによって、そのぶんだけ自らの儲けを増やそうとしたのです。
こうして得られる利益をマルクスは相対的剰余価値と呼びました。
ではここで質問です。必要労働時間を下げるためにはどうすればいいでしょうか。
手作業を機械化したりすることで効率化をはかり労働強化を図ります。
ところが今度は、機械が入ってくると人が必要なくなってくる、リストラされる人が増え機械にとって代わられるということが起こります。
これについてとても良い表現があります。
機械類によって直接必要でない人口に転化させられた労働者の一部は、(中略)
労働市場を飽和させ、労働力の価格をその価値以下に引き下げるのである。
要するに、機械が現れることによって、リストラされた人達が、その労働力を安売りすることで、現実に働いてる人達の賃金まで下げてしまうという効果があるのです。いくらでも替えがいるから、給料に不満があるのであれば止めてもらっても結構ですよという風になります。
これは資本主義社会が産業革命時に新たな問題として起こしてきた問題なのですが、現代に目を向けてみると、人工知能AIがこれから(既に?)台頭していこうとしている現代、資本主義社会と働き方について、また同じ問題に直面しているとは言えないでしょうか。
マルクスが描いた19世紀の資本主義社会を彷彿とさせる現代の日本
リーマンショック後の不況時には、リストラや派遣切りで職を失い居場所の確保さえままならないことになった人は少なくありません。
資本論にはこのような文章があります。
彼らは資本の軽歩兵をなし、基本はその欲求に応じて、ある時はこちら、ある時はあちらと動かす。行進していない時は「野営している。」
これは当時の派遣労働者のことについて説明している文章なのですが、軽歩兵とは一兵卒のことを指し適当に自由に動かせることができる足軽のような兵隊のことを言います。
仕事があるときは仕事をしてもらい、仕事がないときはリストラして放り出す。放り出したらその後どうなるかと言うと野宿するしかありません。そこで野宿する兵隊なのだと。だから労働者はどうにでもなるという言い方をしています。
2008年のリーマンショックの時には大きな派遣切りが起こり仕事を失って、寮も追われてホームレスとなる人が多くいました。
マルクスは労働者の事を草食動物だという風に言っています。人間には最初共同体というものがあって、利己心というのは本来なかったんだと。それが時代によってて利己心が生まれてきた。生きるために他人を踏みつけるというのは本来ない。つまり、そういうことを一番理解しているのは虐げられてきた労働者である。という言い方もできると思います。
虐げられているが故に、現実は足を引っ張ることになりますが、可能性としてお互い助け合うことができる可能性を秘めているものだとマルクスは考えている。
市場原理だけだとうまくいかないということなんだと思います。市場原理はどうしても弱肉強食になってしまいますから、弱肉強食で済むのであればこれは動物の世界です。我々は人間の世界なので政府の役目であったり、我々市民の役目でもあると思いますが、そういう所で補いあいながら皆が生活できる条件を作っていく必要があるのではないでしょうか。
恐慌のメカニズム
現実に起こる恐慌の原因は、資本主義的生産の衝動に対する大衆の貧困と消費の制限である。
『資本論』 第三巻5編30章
マルクスは、資本主義が進むほどに貧困が広がると考えていました。消費が冷え込んで急速な不景気になる。そう恐慌は確かに起こるのだと。
20世紀に入ると恐慌は防ぐことができるのだと考える経済学者も現れます。
ジョン・メイナード・ケインズは政府の財政政策、中央銀行の金融政策によって、景気はコントロールできると考えました。そして21世紀になるとリーマンショックから立ち直ったものの、世界経済は様々な不安材料を抱えたままです。そこで恐慌の起こるメカニズムについて考えてみましょう。
労働者の貧困の問題こそ、資本主義が引き起こす恐慌の鍵を握っていると言ってもいいと思います。
資本論の目次を見てみると恐慌という文字はでてきません。マルクスは恐慌という項目を改めて書いたわけではありません。むしろ、恐慌という言葉を全編にわたってちりばめているという言い方が正しいと思います。
マルクスの恐慌に対する考え方を知るにはまず、第1巻4編13章機械装置と大工業を見なければなりません 。ここでは工場の機械化によって、失業者が生まれる過程を示しています。
先ほど見たように、一日の労働時間の中で、労働者が賃金以上に働いた、労働時間が資本家の利潤となるのでした。その利潤は新たな資本として、工場の機械化に使われます。機械化が進むと労働者があまり失業者が増えます。 工場追い出され、貧しくなった労働者は、工場で作り出された商品を買うことができなくなります。
これがマルクスが考えた恐慌の原因の一つでした。19世紀には、ほぼ10年周期で繁栄と恐慌の波が繰り返されました。
資本論第一巻を書き上げたマルクスは、続く第2巻第3巻で恐慌について詳しく触れる予定でした。しかし志半ばで死去してしまいます。残された草稿を元に、友人のフリードリヒ・エンゲルスがマルクスに変わり編集加筆して出版したものが現在の資本論第二巻大三巻です。
マルクスの意思を継ぎ、エンゲルスが完成させた資本論第2巻第3巻は、その後の歴史に大きな影響を与えました。
『資本論』第3巻15章1節にこんな文章があります。
利潤率の低落は新しい独立した資本の形成を妨げ、それによって資本主義的生産過程に脅威を与える。それは投機、恐慌、過剰資本と相並ぶ過剰人口を促進するからだ。
『資本論』第3巻15章1節
利潤率という言葉はどれだけ資本を投資してどれだけの利潤が得られるかという割合です。
利潤率が低下するということは、だんだんだんだんと投資をしても儲からなくなってくるということです。
過剰人口とは、いわゆる失業している人のことを言います。
資本論に書かれている恐慌のメカニズムは、失業者が招く景気循環だけではありませんでした。
資本論には資本主義につきもののマネーの暴走が引き起こす恐慌について書かれています。
それは19世紀のイギリスで起こった鉄道株のブームの恐慌でした。1820年代鉄道が実用化されると、大量に草が生み出す莫大な富を目当てに次々と鉄道建設計画が立ち上がりました。
建設の資金を賄うために株が発行され、株価が高騰しました。資本家はこぞって銀行からお金を借りて鉄道株を買い漁ったのです。しかしひとつ大きな問題点がありました。鉄道建設には大きな時間がかかるということです。
いくつかの鉄道建設が難航していることが明らかになって、鉄道株のブームに陰りが差し始めます。この時マルクス、エンゲルスがこのバブルがはじけるきっかけと考えたのが1846年に起こった農産物の不作でした。
穀物を輸入するため、イギリスから大量の現金が流出します。資金繰りが苦しくなった銀行や企業が次々に倒産します。この時、鉄道株の株価が大きく下落したのです。こうした投機的な株式や債券をマルクスとエンゲルスは利子生み資本または虚構の資本として空資本と呼んだのです。
そこで資本論の第三巻をみるとこのようなことが書かれています。
利子生み資本において、資本関係はもっとよそよそしい呪術的な形態に達する。
ここで『G-G’』
すなわち、より多くの貨幣を生む貨幣、自己を増殖する価値を、両極に媒介する過程抜きでもつのである。
難しい言葉ですが、
本来資本主義というのはG-G’の間にW(商品・労働力)というものが存在するもの。
それは本来、お金でもって資本を投資して、工場を造ったり、人を雇ったりしてそこで利益を上げるものでした。
ところが、Wが無くなって、お金を貸して、お金が増えるというまるで魔法のようなものです。お金がお金を生むこうした状況が呪術的形態であるとマルクスは言うのです。
現代では当然になっているようなことですが、例えば株を買ってその株が1万円から15000円になりました。こういう状況をfiktiv(フィクティブ)ドイツ語で架空のとか虚構のという意味をあらわす言葉でつくられたものとして表現されています。それが空資本です。
現代では当然のようにして資産に計上される利子生み資本の株や債券ですが、これらは幻想的なものであるとマルクスの資本論は言っているのです。
現代ではこの空資本が巨大なまでに膨らんでいます。
例えば、ある企業が工場を作るために株を発行します。その株を購入した人達には配当が渡されます。この配当がいいので、他の人もその株を買い求め、どんどんどんどん値上がりしますよね。この時値上がりした差額というのは資本に投資されていないのです。株が上がっていくのは株主が一種の賭け事をしているようなものです。状況次第では株主同士が相互に食い合っている形であり、これがfiktivだというのです。
要するにマルクスは、結局資本主義というのは空資本をうみだして膨張し、最後はバブルのように弾けてしまうと言っているのです。
マルクスが 1883年に死去し、その後10年の周期ごとに恐慌は起こらなくなりました。その後は不定期で恐慌が起こるようになり、やがて1929年の世界大恐慌へと至ります。
これはなぜかと言うと、これまでマルクスが観察してきた資本主義の形態と状況が変わってきたのです。
資本主義が自由ではなくなり、淘汰されていく中で、独占や寡占が始まりました。独占が始まると、資本が手を組んで何らかの措置を行います。それによって、恐慌がすんなりと起こらなくなります。これはある意味でマイナスです。
資本主義社会の健全な循環としての恐慌が先延ばしにされ、エネルギーを蓄えて大爆発します。これが私たちの呼んでいる大恐慌です。
現代に起こるクライシスは証券等が引き金となりやすくなっています。先のリーマンショックしかり、2000年代初頭におきたITバブルもそうでした。これらはマルクスの時代の恐慌とは本質的に違うのだろうか。
ここで注目したいのはマルクスの時代は金本位制であったこと。金本位制では経済の拡大を止めますが、それがまたある意味では経済を支える糸になっていた。しかし、管理通貨制度になったことで明らかな変化をしています。
金本位制とは、中央銀行が持っている金の量によって通貨の発行量が決まるもの。
ですから、人為的に通貨の量を調節して、景気をコントロールすることができません。
管理通貨制度は中央銀行が通貨の発行量を意図的に調整して、景気を意図的にコントロールできるようにした仕組みです。
これを提唱したのが20世紀を代表する経済学者、ジョン・メイナード・ケインズです 。
ケインズはもう一つ景気をコントロールする仕組みを提唱しました。それが財政政策です。景気を刺激するためには国は借金をしてでも公共事業を行うべきだというのです。
恐慌というのは抑えることができるという考えがでてきました。実はそれが新しい恐慌の力学を生み出してしまっているのです。
恐慌を止めるために財政政策を行ってきたわけですが、今ではこの財政が世界中で危なくなってきているからです。財政が破綻することで次の恐慌を引き起こしかねないミイラ取りがミイラになるような状況となってしまっています。
今までは財政政策、金融政策があるから恐慌が起こってもそれらのレスキュー隊が助けてくれると考えていましたが、財政が破綻するとレスキュー隊がレスキューを求めている状態となってしまっているのです。
日本に目を向けてみると、少子高齢化が進み財政も悪くなってきている中で国の借金は膨らみ続け、超低金利で銀行に預けていてもほとんど利子はつきません。
高度経済成長期の夢をまた追い求めてもこの問題は解けません。
資本主義は自らの経済を破滅まで追い込んでいくのですが、労働者たちが立ち上がることで、それが止められるという発想がマルクスにはありました。つまり階級闘争をして所得の再分配する等です。これはまたピケティの所得格差問題に対する提起に通じるところがあります。またこの辺り問題について別の記事でピケティの21世紀の資本から考えみたいと思います。
歴史から未来を読み解く
19世紀にマルクスはこんな言葉を残しました。
一定の成熟の段階に達すれば、特定の歴史的形態は脱ぎ捨てられ、より高い一形態に席を譲る。
『資本論』第三巻7編51章
熱心な歴史研究家でもあったマルクスは、資本主義の歴史を勉強しその先に未来の姿を見つめようとしました。そんなマルクスの考えを高く評価しているフランスの思想家がいます。著書『21世紀の歴史』が破壊的ベストセラーになったジャック・アタリです。彼はマルクスの伝記を執筆し、テレビ番組で次のように語っています。
「マルクスはマルクス主義者ではありません。これまでの社会主義は彼の考えとは違うものです。グローバル化はマルクスを読まなければ理解できません。」
先進国の停滞、新興国の成長、そして多くの国々の貧困問題等、ここでは資本論を通してグローバル化の未来を考えます。
資本論は資本家が誕生するまでの何世紀にも渡る歴史を書いています。
15世紀から18世紀の頃に生まれた新しい資本家によって、手織物産業が発展。
必要な羊を育てる牧場を作るために多くの農民が追い出されました。耕す土地を失った農民は、自分で自分を売ることしかできなくなります。
彼らを工場労働者として雇うことで、最初はわずかな資本しか持っていなかった資本家も急速に力を伸ばします。競争に勝ち抜いた資本家は大資本家となり、大量に生産された商品を売るために市場を世界に広めます。やがてイギリスなどの国々は競って海外に植民地を作り、資本家が労働者を搾取する仕組みが世界に広まったのです。
資本論ではこのグローバル化の現象について次のように書かれています。
常に一人の資本家が多くの資本家を滅ぼす。この集中と共に、つまり少数の資本家による多数の資本家の収奪とともに、(中略)世界市場全体への世界の国民の組み入れ、及びそれとともに資本主義の国際的性格が発展する。
要するに最初は様々な企業があって、競争して最終的には統廃合を繰り返しながら一社になる。これが国際的にも行われて、世界市場の中に入っていき、世界市場の中でも最終的には1社になってしまう。
GAFA(ガーファ)という言葉を聞いたことがあるだろうか。これらは
Geogle
Amazon
Apple
の成長著しいIT企業の頭文字を取ったものである。最近の話題で上がったものに、2019年3月5日、フォーブスはAmazonのCEOであるジェフ・ベゾスの保有資産額を1310億ドル、日本円で13兆6600億円。世界長者番付で2年連続1位となったと発表した。
eコマースの雄であるアマゾンの台頭によって、数多くの小売り業者が廃業に追い込まれたことは言うまでもないだろう。
その最たる例として書店が挙げられる。Amazonは電子書籍を一早くから世界で売り出した。Kindleという電子書籍のデバイスとプラットフォームで書店に行かずとも例え家の中でも欲しい本を探してその場で購入し、その場で読むことができる。
グローバル企業が日本の地方にあるようなの同業他社でさえも駆逐し、そのシェアと取り込んでいったのです。その結果として、CEOのベゾスの資産額は私たち庶民にはまるで見当もつかない額となりました。
ではこれら先はどのようになっていくのでしょうか。
資本論の有名な言葉を見ていきましょう。
生産手段の集中と労働の社会化は、そうした資本主義の枠と調和しなくなる点にまで至る。そして、その枠は破壊される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪されるのだ。
最後を告げる鐘が鳴るとは一体どういうことなのでしょうか。
極端な例で言うと、統廃合を繰り返しながら大きくなったグローバル大企業は最終的にその企業の収奪者がいなくなると、それがみんなのものになるということです。
しかし実際のところ、このまま資本主義社会が続いていくのかどこかで破綻するのかまだわかりません。これはあくまで一つの考え方なので、そういう解釈もあるということです。
マルクスもこれがいつ起こるかというような表現はしていません。もしかしたら数年以内に来るかもしれませんし、100年200年後、あるいは現実はそうはならないかもしれません。
マルクスはグローバル化が進んでも資本家と労働者の図式は変わらないと考えていました。
20世紀マルクスに学んだ学者たちは、それは南北問題にあてはめました。
発展途上国の人々が先進国の資本家や企業によって搾取されている。そしてその搾取から抜け出すにはそれぞれの国の反対運動しかないと考えたのです。この見方は正しいのでしょうか。
かつて、発展途上国と言われ、先進国からは収奪の対象とされる。世界には中心と縁辺があって縁辺では生活を改善できないんだと言われこういう議論が非常に強かったのですが、今では先発逆転というような状況が起こっており、どこで逆転が起こっているのかというと、世界経済で一年間で増えた部分がこれまでは先進国の貢献しているところが多かったが、これからは発展国の成長の増分の方が先進国の発展の増分より大きくなってくるからです。
これまでは発展国は収奪の対象であり、発展の契機もなく、革命的な奪権をしない限りひっくり返せないという議論が強かったのですが、現実は既にそうはならない道筋を辿り始めています。例えば、中国なんかがその最たる例で、先進国よりも大きく、強い発展国となってきていますよね。
マルクスは資本主義が成立するのに1000年くらい掛かっており、わずか100年や200年ではそう簡単には崩れないと言っている。従って、これから長い時間をかけて、資本主義は様々な形に展開し、その遠い先に何か別のものがあると読めるのではないでしょうか。
ジャックアタリは「市場のグローバル化とともに、民主主義政治もグローバル化しなければなりません。秩序がなければ資本主義は崩壊してしまいます。資本主義がグローバル化した時、世界政府がなければ生き残ることはできないだろう。現在の資本主義は不平等を増しています。誰もそれを改善していないのです。」
と、このままでは資本主義は自ら崩壊してしまう運命だと述べています。
世界政府の下りは「じゃあそれを誰がやるのか?」等の問題が残るため議論していてしていないようなものに思いますが、各国が所得の再配分や資産課税によって富が配分するなどの取り組みが必要となってくることは間違いありません。
まとめ
このマルクスの資本論をどう捉えるのかは読者次第なのですが、歴史の転換に大きな役割を果たしたこの資本論の真の姿がどのようなものであったのかというのを知るきっかけとなれば幸いです。
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